第7話  『悲しみよこんにちは』(1982年)

解説の都合上、英文をいくつかの段落に分けます。通して読みたい方は最後に全文と全訳が掲載されていますので、ご参照ください。

 

(A)I was slow in starting to live at all. It wasn’t my fault. If there had ever been any kindness I would not have suffered from a delayed maturity. If so much apprehension had not been instilled into me, I shouldn’t have been terrified to leave my solitary unwanted childhood (B)in case something still worse was waiting ahead.

 

かなり古いのですが、東大第5問の特徴が顕著な、東大第5問が現代文の試験と言われる元となったような問題なので、取り上げることにしました。

 

(a) 下線部(A)の内容として最も適当なものは次のどれか。その記号を記せ。

(ア)なかなか自分の人生に踏み出せなかった。

(イ)そもそもこの世に生まれてくるのが遅かった。

(ウ)人生あわてることはないと、のんびり構えていた。

(エ)ぐずぐずしているうちに生存競争に遅れてしまった。

 

本文中の英語を英語で言い換える問題でも、日本語で説明する問題でもポイントは1つ。英語の言い換えなら、本文中で使われている単語やそれから直接連想される単語を含まない選択肢、日本語の説明なら、英語をそのまま訳していない選択肢が正解になります。そりゃそうですよね、本文に出てくるのと同じ単語を含む選択肢が正解なら、それは英語のテストではなく、視力検査です。これは東大に限らず、センター試験や早慶(とくに慶應)にも当てはまるルール。次の問題を見てください。

 

Last Christmas, I bought my ten-year-old son a fine racing car set. You could not ask for a better present.

 

問 In this situation, You could not ask for a better present means “(  )”

  • Nobody is allowed to ask for a better present.
  • It is the best present one could hope for.
  • There is no one who ever asked for a better present.
  • It was impossible in the past to ask one’s father to buy a better present.

これはセンター試験の前身、共通一次試験の問題です。来年から実施される

共通テストの祖父に当たる試験です。本文から設問に関係した箇所だけを抜き出しました。

下線部で使われている単語と選択肢で使われている単語のカブリをチェックしてみましょう。①ask for a better present、③asked for a better present、④askと buy a better present。②だけbetterではなくbest、askではなくhope。

そうです、答えは②です。文法的に説明しますと、仮定法の中で比較級を用いると、最上級を意味するのです。Couldn’t be better.「それ以上良くはありえない」→「最高である」のように。下線部を直訳すると「それ以上良いプレゼントを求めようにも求められないだろう」、意訳すると「それは求めうる最高のプレゼントだろう」。

  さて、設問に戻りましょう。

slowから(イ)の「遅かった」や(エ)の「遅れてしまった」はアウトですし、(ウ)の「のんびり構えていた」もslowからダイレクトに連想される言葉です。2行目のdelayed maturity(なかなか大人になれないでいたこと)に注目、主人公は大人になることを恐れていたのです。主人公の名前はセシルにします。その理由はのちほど。

 

(答え)ア

 

セシルはなぜ子どものままでいたかったのか?幸せな子ども時代を送ったからなのか?そうではないのです。

 

(b) 下線部(B)と同じ内容になるように、次の空所にそれぞれ一語を補充せよ。

for ( 1 ) that something still worse was waiting in store ( 2 ) me

 

セシルは愛されない不幸な子ども時代を送ります。そのため、セシルは今がこんなに不幸なら、大人になったらもっと大きな不幸が待っているのではないかと不安になり、孤独で不幸な子ども時代から抜け出せないでいたのでした。

in case S (should) V ~「~するといけないから、~する場合に備えて」の意味の接続詞(「もし~ならば」の意味もあり)。for fear (that)と同じ意味です(thatは省略できます)。be in store for ~は「~を待ち構えている、~に振りかかろうとしている」、主語は悪いものである場合が多いです。

 

(答え)fear, for

 

However, there was no kindness.(C)The nearest approach to it was being allowed to sit on the back seats of the big cars my mother drove about in with her different admires.

 

(c) 下線部(C)の内容として最も適当なものは次のどれか、その記号を記せ。

(ア)成熟への最短距離        (イ)愛情を得る手近な方法

(ウ)何かもっと悪いことの気配    (エ)一番新しい子ども時代の記憶

(オ)どうにか思いやりらしきもの

 

nearestやapproachから直接連想される単語を含む選択肢は、(ア)最短距離、(イ)手近な、(エ)一番新しいという最上級表現。残りは(ウ)か(オ)。代名詞が何を指すかはいつも注意しましょう。このitはkindnessを指しますから、下線部を直訳すると「やさしさに最も近づいたこと」。愛に飢えた子ども時代。それに最も近づいたことといえば、母が運転する大きな車の後部座席に座るのを許されたことでした。

しかし、それも実は思いやりではありませんでした。

 

(答え)オ

 

This was in fact no kindness at all. I was taken along(D)to lend an air of respectability. The two in front never looked round or paid the slightest attention to me, and I took no notice of them. I sat for hours and hours and for hundreds of miles, inventing endless fantasies at the back of large and expensive cars.

 

(d) 下線部(D)の意味として最も適当なものは次のどれか、その記号を記せ。

(ア)大人の空気になじませるために

(イ)尊敬の態度を印象づけるために

(ウ)いちおう世間体をととのえるために

(エ)上流家庭の様子をちらつかせるために

(オ)打ちとけた雰囲気をかもし出すために

 

これもan airやrespectabilityの意味がダイレクトに出ている選択肢を外します。まず、(ア)の空気、(イ)の尊敬がアウト。もちろん、airが可算名詞になると「雰囲気、様子、気取った態度」の意味なのは、東大受験生であれば常識で、(エ)も(オ)もダメです。

 

(答え)ウ

 

後ろに子どもが乗っているのを見て、世間は前の二人が夫婦だと思います。すなわち、セシルは母親と愛人を夫婦に見せる道具だったのです。同じ車に乗っていながら、母と愛人はセシルのことを一顧だにせず、セシルも二人を無視して自分の世界に浸ります。こういう少女が小説家になるのでしょうか。初めてこの問題文を読んだ私の頭に、フランソワーズ・サガンの名が思い浮かびました。もっとも、サガンの幼少時代はこの主人公とは違うようですが、

大学4年になるまで、名前だけは知っていても、私はサガンの小説を読んだことがありませんでした。ところが、ある歌をきっかけに読むことになります。その曲とは『経験シーズン』。大橋恵理子、通称エルというアイドルの曲です。

曲の中に、真夏の浜辺で男の子の熱い視線を無視して、ビキニ姿の女の子がサガンの小説を読んでいるというくだりがあります。海でナンパしようとした女の子がサガンなんか読んでいたら、ドン引きますけどね。できれば、「ネコのトイレにしつけ方」にしてほしい。

話、思い切り脱線しましたが、脱線ついでにもっと脱線しますと、昔の若者にとって『経験』という言葉はそれはもう特別な言葉でして、その言葉だけでご飯が三杯いけました。近頃の高校生がexperience(経験)とexperiment(実験)を混同する様を目にし、経験を何だと思っているのだと怒りが込み上げます。

まあ、そういういきさつで、ひとつサガンを読んでみるかと思い立ち、『悲しみよこんにちは』を読んだのです。正直、とくに面白いとも思いませんでしたが、19歳のときにこの小説を発表したことには驚きました。日本でも十代の芥川賞作家がいるように、女の子は早熟ですねぇ。

セシルは『悲しみよこんにちは』の主人公の名前なのです。

『ブラームスはお好き』にしても、『愛と同じくらい孤独』にしても、サガンは邦題がいいんですよ。

 

 The frightful slowness of a child’s time. The interminable years of inferiority and struggling to win a kind word that is never spoken. The torment of self-accusation,(E)thinking one must be to blame. The bitterness of longed-for affection bestowed on indifferent strangers. What future could have been worse? What could have been done to me to make me afraid to grow up out of such a childhood?

 

第1文から(The frightful slowness ~)第4文(The bitterness of ~)までは名詞の羅列で、文構造にはなっていません。

 

(e) 下線部(E)を日本語に訳せ。

 

分詞構文です。分詞構文が設問になるとき、譲歩の意味であることが割と多いのですが、この分詞構文は常識的に付帯状況です。分詞構文の日本語訳は『時』でも、『理由』でも、『付帯状況』でも「~て、~で」と訳すとたいていはうまくいきます。主語のoneは一般に人を指す代名詞ですが、The torment of self-accusation (自責の念の苦しみ)から、「自分が」と訳しましょう。be to blameはイディオムで「悪い、責任がある」。このmustはbe動詞が続いているので断定(~に違いない)です。

 

(答え)

きっと自分が悪いと考えて。

 

第5文と第6文は修辞疑問文と仮定法を使い、セシルの子ども時代が最悪であったことを表現しています。その絶望感は次の文にも続きます。

 

 Later on, when I saw things(F)more in proportion, I was always afraid of falling back into that ghastly black isolation of an uncomprehending, solitary, over-sensitive child, the worst fate I could imagine.

 

(f) 下線部(F)の意味として最も適当なものは次のどれか、その記号を記せ。

(ア)in a better style       (イ)in a great measure

(ウ)with less interest       (エ)with less prejudice

(オ)with better skill

 

proportion「割合、つりあい、大きさ」からダイレクトに連想される単語が(ア)のstyleと(イ)のmeasure。本文が優等比較級(more)ですから、(オ)のbetterより、劣等比較級(less)を使った(ウ)や(エ)の方が言い換えの度合いが高い。前置詞も本文がinであるのに対してwithですし。「物事に対してより釣り合いのとれた見方をする」というのは、それだけ偏見のない見方をするということです。

 

(答え)エ

 

 My mother disliked and despised me for being a girl. From her I got the idea that men were s superior breed, the free, the fortunate, the splendid, the strong. My small adolescent adventures and timid experiments confirmed this. All heroes were(G)automatically masculine. Men were kinder than women;(H)they could afford to be. They were also fierce, unpredictable, dangerous animals: one had to be constantly on ( (I) ) against them.

 

セシルの母親はセシルが女の子だという理由だけで、セシルを嫌い、蔑みます。女の敵はいつでも女なのでしょうか。毒母の支配から逃れられずに苦しむ娘はけっこういますね。おそらく、女であるがゆえに、この母親は自分のことも愛せなかったのかもしれません。

いずれにせよ、男は女より優れていて、自由で、幸運で、素晴らしいものであるとの考えをセシルは母親から植えつけられます。

 

(g) 下線部(G)の言い換えとして、次のどれが最も適当か。その記号を記せ。

(ア)by nature          (イ)by themselves

(ウ)for themselves        (エ)mechanically

 

ここも(エ)はautomaticallyから直接イメージされる単語。残りはすべてイディオムです。(ア)「生まれつき」、(イ)「ひとりぼっちで、独力で」、(ウ)「ひとりで、独力で」。(イ)と(ウ)はほぼ同じ意味で使われています。

 

(答え)ア

 

(h) 下線部(H)と同じ内容になるように次の文の空所を補充するには、以下の語のうちどれが最も適当か。その記号を記せ。

they were in a (   ) to be kind

(ア)position           (イ)possibility

(ウ)sense             (エ)wealth

 

男は女よりやさしい。下線部(H)のあとには、kinder than womenが省略されていて、「そうできる余裕があるのだ」と続きます。女性は男よりいろいろと大変ですからね。男のようにのほほんとしていられませんから。私は照れ屋で、若い頃付き合っていた女性に「照れるところがかわいい」と言われたことがあります。そう言えば、私は女性が照れるのを見たことがありません。そんな余裕はないのかもしれませんね。

問題に戻りましょう。(イ)がcouldから、(エ)がaffordから直接連想されます。be in a position to V ~は「~できる立場にある」という意味。

 

(答え)ア

 

(i) 空所(I)を補うには次のどれが最も適当か。その記号を記せ。

(ア)defense            (イ)fight

(ウ)guard             (エ)shouting

(オ)watch

 

同時に、男は狼でもありますから、女性は隙を見せず、いつでも用心が必要です。be on guard against ~で「~を警戒する」の意味のイディオム。defenseだと前置詞はin。watchだと冠詞がついてbe on the watch for[against] ~になります。

 

(答え)ウ

 

 

<全文>

 

(A)I was slow in starting to live at all. It wasn’t my fault. If there had ever been any kindness I would not have suffered from a delayed maturity. If so much apprehension had not been instilled into me, I shouldn’t have been terrified to leave my solitary unwanted childhood (B)in case something still worse was waiting ahead. However, there was no kindness.(C)The nearest approach to it was being allowed to sit on the back seats of the big cars my mother drove about in with her different admires. This was in fact no kindness at all. I was taken along(D)to lend an air of respectability. The two in front never looked round or paid the slightest attention to me, and I took no notice of them. I sat for hours and hours and for hundreds of miles, inventing endless fantasies at the back of large and expensive cars.

 The frightful slowness of a child’s time. The interminable years of inferiority and struggling to win a kind word that is never spoken. The torment of self-accusation,(E)thinking one must be to blame. The bitterness of longed-for affection bestowed on indifferent strangers. What future could have been worse? What could have been done to me to make me afraid to grow up out of such a childhood?

 Later on, when I saw things(F)more in proportion, I was always afraid of falling back into that ghastly black isolation of an uncomprehending, solitary, over-sensitive child, the worst fate I could imagine.

 My mother disliked and despised me for being a girl. From her I got the idea that men were s superior breed, the free, the fortunate, the splendid, the strong. My small adolescent adventures and timid experiments confirmed this. All heroes were(G)automatically masculine. Men were kinder than women;(H)they could afford to be. They were also fierce, unpredictable, dangerous animals: one had to be constantly on ( (I) ) against them.

 

<全訳>

 

そもそも私は人生に乗り出すのが遅かった。それは私の責任ではなかった。少しでもやさしさがあったならば、なかなか大人になれずに苦しむことはなかっただろう。それほど多くの不安が私にしみこまなかったならば、もっと悪いことが待ち構えているといけないからと孤独で必要とされない子供時代を脱することを恐れはしなかっただろう。しかし、やさしさは何もなかった。やさしさに最も近いものは、母がいろいろな恋人といっしょに乗り回していた大きな車の後部座席に座るのを許されることだった。これは実はやさしさでも何でもなかった。私は世間体をととのえるために連れ回された。前の2人は振り向いたり、私に注意を払うことは決してなく、私も彼らを無視した。私は何時間も何時間も、何百マイルもただ座り、大きく高価な車の後部座席で際限のない夢物語を生み出していた。

子供の時間の恐ろしい遅さ。果てしのない年月にわたる劣等感と決してかけられることのないやさしい言葉を得ようともがくこと。きっと自分が悪いと考えて、自責の念に苦しむこと。恋焦がれた愛情がどうでもよい他人へ与えられる辛さ。これ以上悪い未来がありえただろうか。成長してそんな子供時代を抜け出すことを私に恐れさせるのに、これ以上私に何ができただろうか。

後になって、もっとつり合いの取れたものの見方をするようになると、理解力のない、孤独で過敏な子供のおぞましい真っ暗な孤立へ戻ることを私はたえず恐れた。それは私が想像しうる最悪の運命であったからだ。

母は女の子であるがゆえに私を嫌い、蔑んだ。男は優越した種であり、自由で、幸運で、素晴らしくて、強いものだという考えを、私は母から得た。私の小さな思春期の冒険と臆病な実験がこれを裏付けた。あらゆる英雄が自動的に男性であった。男性は女性よりもやさしかった。そうする余裕があったのだ。彼らはまた獰猛で、予測がつかない危険な動物だった。だから、いつも警戒していなければならなかった。